主権回復の日~後編

 靖國神社を後にし、地下鉄を乗り継いで、次は日比谷公会堂へ。
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 午後2時から主権回復記念日国民集会に参加しました。以下に、主だった論壇者の方々をご紹介。

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高市早苗 自民党政調会長


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平沼赳夫 衆院議員[日本維新の会]


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山谷えり子 参院議員[自民党]


 午前中、天皇皇后両陛下をお迎えして、初めて政府主催の記念式典が憲政会館で行われたこと、自主憲法を制定すること、すべての拉致被害者を奪還すること等を強調されている方が多かったです。

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西田昌司 参院議員[自民党]


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宇都隆史 参院議員[自民党]
和服がよくお似合いです(^^)


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西村真悟 衆院議員[日本維新の会]
 「主権の回復」とは主権なき時に奪われたものを回復すること、すなわち軍隊である。世界中どこの国でも当たり前のことですね。これをタブー視している日本のサヨクが異常。

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田母神俊雄 元航空幕僚長
 自衛隊の行動が完全に米国に支配されている現状では実質主権を取り戻すことはできない。主要兵器を国産化すべきである。「武器輸出解禁」こそが日本が主権を回復する第一歩。いつもながら田母神閣下の話は目からウロコです。

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佐藤守 元空尉


 主権回復記念日国民集会のダイジェスト版動画のリンクを貼っておきます。


 1945年、大東亜戦争に敗れた日本は連合国軍の占領下に置かれ、約7年間にわたり主権を奪われました。1951年9月、吉田茂首相の時代に、サンフランシスコ講和条約が調印され、翌1952年4月28日に発効しました。この主権回復の日を記念して、ようやく政府主催の式典が開催されたわけですが、これを沖縄が見捨てられた屈辱の日として左翼マスゴミらが分断を画策しています。

 サンフランシスコ講和条約1条で日本は主権を回復しましたが、第3条で奄美・沖縄は米国の信託統治領となり、1972年5月15日に本土復帰を果たすまで、20年間、沖縄は米軍の統治下にありました。

 当時はまだ、米ソ冷戦時代の真っただ中であり、日本は国家としての主権をまず回復しなければ、沖縄返還交渉を始めることすらできませんでした。主権がない時期は、「国旗掲揚・国歌斉唱ができない」「言論統制がしかれる」「大使館をもてない」「あらゆる法律は占領軍の許可や命令がなければ制定施行するこができない」という国家の自由・尊厳を奪われていた時代です。そんな国家主権を失っていた日本は、沖縄返還を訴える法的根拠を何も持っていなかったのです。

 このことをまったく伝えず、「沖縄は反発している」と尖閣諸島を狙っている中国さまに都合のいいような一方的なプロパガンダを垂れ流す反日マスゴミ! 靖國問題もそうですが、金太郎飴のように皆同じことしか報道しない大手マスゴミに存在価値はありません。これからネットの役割は増々大きくなり、反日売国メディアを駆逐する日が必ずやってくるのを確信します。

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